MEN'S CLUB60週年記念号/白山白川郷ウルトラマラソン完走記(2)

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今日は出張でした。リバティープリントの仕入れなど。その辺りはまた生地ページにアップさせて頂くことにして、帰りに書店により久しぶりに手にしたファッション雑誌。


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私はほとんどと言うか、あまりファッション雑誌を購入しません。と言うのは本当の情報はやはり仕入先から仕入れることが多く、ファッション雑誌はメーカーとのタイアップが多く、最近ちょっとおもしろくないから。ただ久しぶりにパラパラとめくったこの雑誌は面白そうなので購入しました。


MEN'S CLUBと言えば、昔から「メンクラ」と言われファッション雑誌の草分け的な存在。私がアパレル関係の職業についたときは、このメンクラとPOPEYEを読んで勉強しました。メンクラはもともとがアイビーやトラッドを主体としたファッション雑誌。

最近はイタリア物をメインにするファッション雑誌がほとんどですが、ベースをトラッドに置いておくと、基本に戻りやすい、そして基本から巾を広げられるということがあります。

記念号ということで、僅かなページですが、寄稿しているのが、ビームス社長の設楽氏、シップスの鈴木氏、ユナイテッドアローズの栗野氏と重松氏、そしてミュージシャンの松任谷正隆氏。全ての方が私よりも年齢は上ですが、ベースがトラッドだと話しておられる。まさにその通りだと思います。もしよろしければお買い求められたら如何でしょうか。珍しく雑誌のご紹介です。


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白山白川郷ウルトラマラソン完走記(2)


レースが終わった翌日ゆっくりと温泉にでも入り、疲れた身体を癒やそうとジムに行った。決して完走したドヤ顔を見せに行ったわけでもないのに、ジムの皆さんが完走をFacebookやブログで知っていたのか、前日のコースやレースの展開を聞きに私の傍に近づいて来られる。これはこのレースに興味があり、実際自分も走ってみたいと思われているのだと話が終わって気づいた。



詳細はこのブログに。確認して頂ければと思うが、初めてウルトラマラソンに挑むのにこのコースを選ぶのはどうか?と思うが、一度でもウルトラマラソンを走られた方は、決して走れないコースではない。ということを完走記で書きたいと思う。と言うのは一昨年珠洲のウルトラマラソンを走った時のタイムと今回のタイムは20分も離れていないからだ。



さて、レースの前日。といきたいところだが、その前日。レースの前々日はやはりジムのお風呂だけ入りに行った。カウンターで受付を済まし、階段を下りていくと、そこにはM岸女史が。彼女にはウルトラマラソンを走ることを決めた時に岩本能史コーチの「100kmマラソンは誰でも快走できる」という著書をお借りしていた。今までは小出義雄監督の著書「30キロ過ぎて一番速く走るマラソン」を愛読していたが、ここで読む本も方向転換。

走り終えたので、早くお返ししないと。そこにはもし故障等でウルトラの練習が満足にできずに、スタートを迎えるようになった場合。というようなくだりがあった。確か3~4日で分割して100キロを走れというような内容であったと思う。

これは時間的に言っても無理であることが分かった。「快走」を約束してくれる著書に書いてあることも守れないので、正直タイムは考えずに何とか制限時間内にゴールすることだけを考えるようになる。



ようやくレース前日。本来であれば、前日エントリーで受付会場の白嶺小中学校に行かなくてはいけなかったのだが、前日も仕事であったために私の師匠O山さんにゼッケンの引換証を渡し、当日受け取ることにした。私と同じ年齢でありながら、サブスリーランナー。10年以上も前私が走る前から先ずは当店のお客様としてお付き合いを頂いたのだが、もともとは決してスリムな体型でなかったことは、洋服屋である私しか知らぬことかも知れない。ここで書いてしまったが。


明日100キロを走ると言っても仕事があり。本来であれば20時まで仕事はあるのだが、本番当日は午前2時前に自宅を出ることを考え、午前1時に起床するとして、8時に就寝しても5時間。これくらいは必要だと思い、ちょっと早めの19時過ぎに店を出させてもらう。事前準備はしていたものの、食事をし、風呂に入り、最終の点検をし、テーピングを施すとやはり就寝は21時となった。



私は偏平足でフルマラソンを走ると、後半足裏のアーチが落ちて、痛みがはしり本当に走れなくなる。珠洲のウルトラマラソンの時は72キロ地点での学生のボランティアに、マッサージを受け、無理やりアーチを起こしてもらって何とか完走した経験がある。今回一緒に走るI立君にそのことを話すとアーチを上げるテーピングをしているとのこと。その方法を教えてもらい、今回そのテーピングが役立ったようだ。またいつも心配をしてくれる、チームのT尾さんから、膝用のテーピングを頂き、それも行った。あと一つ本番前の準備として、護王神社で頂いてきた「足の御守」をランパンに安全ピンで装着した。以前に野口みずき選手がランパンに御守を縫いつけているのを見て、これを真似しただけなのだが、この行為が当日悲劇を生むことになろうとは知るすべもなかった。



御守




ふと時計を見ると20時50分。早く寝ないとと思い。早々にベッドの中に入る。当然寝付けやしない。寝ているのか起きているのか分からない状況の中一度だけ目が覚めたものの、iPhoneで設定した午前1時のアラームとともに目が覚めた。

寝れている。大丈夫と自分に言い聞かせてベッドから出て階下のリビングへ。とにかく食事だ。前日20時前に食事をし、5時間後の午前1時に食事が出来るか?前日に残しておいてと頼んだ中華スープをレンジで温め、そして前日に購入していたおにぎりを口に頬張る。食べることができる。良かった。もしここで食べられなければ、前半からエネルギー切れを起こす可能性もあったので、食事を摂れることで少し安心をした。そしてこれもコンビニで購入してあった、小さなアンパンが5つくらい入っている袋から一つを取り出し、それをポカリスエットとともに胃の中に流し込む。これだけ食べられば大丈夫。直ぐにでも走れるようにとランパン、Tシャツランシャツ、そしてゲーターとソックスを着用し、忘れ物がないようチェックをし、最後の準備トイレに入り減量化作戦。いわゆる(大)である。



ところが出ない。当たり前か。私は便通は良い方なのだが、流石に夜中の2時前に腸が私の指示に従ってくれるほどあまくはない。そういえば一昨年の珠洲ウルトラの時も一日重たいものを腸に持ったまま走ったのをこの時思い出す。白山の簡易トイレに置いてくるか。と思い自宅を出る用意を進める。



1時50分に一緒に行くT尾女史の所に迎えに行く予定だったが、作戦の失敗により少し遅れることをDMし、自宅の鍵をかけて愛車に乗り込む。前日ナビに白嶺小中学校を登録しておいたから間違いなくスタート1時間前には到着するはずだ。



T尾女史は今年は応援で来てくれるのだが、来年はこの白山白川郷ウルトラマラソン50キロに挑戦する為の、イメトレも兼ねての応援ということ。彼女の応援はとにかく元気が良いというかうるさい。まぁ静かな応援などあり得ないので、これはこれで有難いが、ちんたら走っていると遅いと怒ることもある。



その女史をピックアップして会場に向かうが、私のレースに向かっている車の中、しかも夜中の1時過ぎにも関わらず、とにかく彼女はしゃべり続ける。まるで歌を歌っているかのようにしゃべり続け、途中息継ぎがあり、そしてまたしゃべり続けるという感じ。車中の話題は前日に出たマラソン教室の話しであった。



ランナーには二通りあるのではないかと思う。一つは、スタート直前までそのレースに集中をし、誰もが近づけないほどのオーラを発しながら挑む人。もう一つはとにかくリラックスをして臨みたい人。私は後者の方なので、レースのことを忘れさせてくれる女史のトークが逆に嬉しかったりもする。

ということで、暗がりの中、車をとばしてきたが、少しずつテールランプが連なってくるようになり、会場に近づいてきていることを感じさせる。

誘導灯の指示に従い、大きな駐車場に車を入れる。次から次に車が入ってくるが、50キロのランナーとはスタート時間が違うので、今入ってくるのは全てが100キロのランナー。自分も含めて100キロを走るということは、普通の人には考えにくいこと、いわゆるマラソンをするランナーの中でも変態と呼ばれるような人だと思うし、自分のことは置いておいてまぁよくこれだけの人が集まるわ。と感心しながらスタート会場に向かうバスに乗り込む。

まだ座席に余裕はあるもののバスは駐車場から出発する、数百メートルくらい進んだであろうか、手荷物を見てみるとウエストポーチが無いことに気がつく、まだ駐車場内。慌ててバスのドライバーに「すみません忘れ物をしました。」と声を掛けてバスから下ろしてもらった。T尾女史と一緒にバスを降り再び車のもとへ。実はレースで一番大切なウエストポーチを忘れないようにと車に乗り込む前から腰に巻いており、それが逆に運転の邪魔になった為に、車に乗り込んだ時点で外し、ドアのサイドポケットに入れておいた為にそれを取らずに出てしまったみたいであった。忘れまいと思って大事をとり逆に忘れる。私にはよくあることだ。

一本遅れてバスに乗り込んだが、そのおかげで、今回初めてウルトラに挑戦するK村氏と一緒になった。奥さんは金沢の女子マラソン会では有名で、頻繁に入賞を重ねる方。ご主人と言えば、走っているのは勿論しっているが「夜」のイメージが強い(失礼)しかし直前水曜日の練習会でも私は禁酒に入っていたのに、飲みに行っているとのこと。私はちょっと100キロは難しくないか?と思っていたのだが、その予想を覆す見事なタイムでK氏はゴールすることになる。

さて、会場入りだ。



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O山師匠からゼッケンを受け取らなくてはいけないところであるが、まだ会場には着いてない様子だったので、振る舞いの味噌汁を頂いて、その後長蛇の列ではあったが、トイレに並ぶ。トイレの列に今回100キロの準優勝を飾ったH瀬氏も一緒であった、談笑をし順番が来たトイレであったが、どうやら腸の方は動いてくれずに、ここでも小さい方をするのみに終わった。

このスタート前に以前にもブログにリンクを貼ったYouTubeのPJOチャンネルの皆さんと会って一方的に声を掛ける。その時点でも動画撮影中であったが、少しでもその中に映ろうとアピールしたのは言うまでもない(笑)





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時間も30分前となり、O山師匠にゼッケンとタイム記録用のチップを貰い、T尾女史そしてK村奥様に手伝ってもらい。ランシャツにゼッケン。シューズにチップを付けるが、緊張し手が震えうまくチップが付かない。何とかゼッケンを付けてもらったランシャツを着用し、シューズを履いて一緒にスタートする、I立さん、そしてピカチューの被りものをしたK子(男性姓)さん、応援のT尾さんとと一緒にスタート地点に向かう。スタート地点に向かう途中でもドリンクや、飴、軽食を振る舞ってくれるテントがあり、水を頂き足を進める。スタートゲートに向かうまでに皆バラバラになったが、何とかI立さんを見つけて一緒にスタート前のセレモニーを眺め、このウルトラマラソンを運営する、Wellnessの代表。24時間テレビの100キロマラソンの伴走者でも有名な坂本さんの声を聞きながら、長い長い旅路への号砲を待つ。




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スタート直前。もう一度ランパンの紐を締めなおそうと、手をランパンの中に入れるが、紐がない。恐る恐る手を後ろに回すと。


やってしまった。紐が後ろに。まさかのランパン逆さま?昨年のいびがわマラソンの時に慌ててランシャツの前後を逆に着てまるで飛脚のような姿で42.195キロを走ったが、今回はランパン逆さま事件か?通常ならば紐の位置を確認してランパンを履くのだが、ランパンを履く前に事前に付けた御守をランパンの前側に付けたと思い、紐の位置を確認することなく、御守りの位置を見て履いてしまったのがそもそもの失敗。横にいたI立君にそのことを話すとネタができましたね。と一言。いやネタならいいがこのまま100キロは走れまい。さてどうするか思案していた所。スタートのカウントダウンが始まった。



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続く。


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