富山マラソン完走記(後編)

すみません。二話で完結します。その予定です。今から書き始めますので、分かりませんけど。

昨日はいきなり30キロまで行きましたが、少し戻らせて下さい。10キロを過ぎた時にあの石川県では有名なPJAちゃんねるのM氏と会います。そこそこのペースで私も走っているのに、先行していました。しかも昨日まで病で倒れていたはずなのに。

声を掛けて並走します。「無理しないように」「速いね」というと「私は先行型ですから」というような言葉を。PJOちゃんねるというのはリンク先をご覧になって頂ければと思いますが、多くのウルトラマラソンを含むマラソンレースを動画で配信しているYouTubeの番組。以前にもこのブログでご紹介させて頂きましたが、その動画を作成しているM氏の横に並ぶということは出演のチャンス笑

当然のごとく話しかけると、カメラを出してくれました。おもいっきり話しかけました。これで出演は確定!

そのM氏から朝動画の一部を切り抜いたということで、写真を頂きました。

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ここは折り返しの所なので先行するM氏が私を見つけて、撮ってくれたところです。

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この辺りはまだ元気ですが、ペースをつかみきれない所です。

そして追いついて先行させて頂いた所。庄川沿いの土手の辺りです。これからあの新湊大橋に向かうのであろうと想像している所です。

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さて、30キロ地点に戻ります。ここからが頑張りどころ。ただこの頑張りどころが田んぼの中の一本道。道路も少し荒れていたような道。そこにも応援の方々が至る所に立って頂いています。本当に富山県から命じられているかのように人がいる。1万2千人のランナーですからランナーも多いですが、応援の方々の多さには本当に驚きました。

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上の写真は30キロ地点で、チームメンバーが撮ってくれたもの。プロではありませんが、素人ではありません。プロ並みの素人。ランナーが目指す向こうに見える山々の連なり。晴れて立山連峰が見えればいいね。とは言ってましたが、こんなに綺麗に見えるとは。本当に富山マラソンはツイている。最高のマラソン日和です。

ラスト12キロですが。30キロ過ぎたラップです。

31キロ 4:47.6 4:49.8 4:44.8 4:44.3 4:50.5 手元の時計では2:46:06(公式タイムは2:47:41) この辺り、予定したラップでは4分42秒で走っているはずなのですが、なかなか上がりません。これが実力です。30キロまでは抑えているはずではあったのですが、そこから先は頑張っても上がりませんでした。痙攣は恐いものの、なってしまったらなってしまったで、仕方がないことと思って精一杯走りました。

この辺りから意識は朦朧としているので、何分で走っているとかラップがどれだけかは考えられません。1キロ毎に手元の時計がヴァイブレータで教えてくれるラップをぼんやり見ますが、計算も出来ません。ただ田んぼの中を走っている時は自分はラップを維持しているだけなのに、次から次ランナーを抜いていきます。30キロ過ぎると落ちてくるランナーがいっぱい。一生懸命走ってラップを維持するのが精一杯。ただ周りが遅くなっているという感じ。

35キロ地点。最後の難関呉羽山を上っていきます。国道でもあるし、たいした山じゃないよ。と言うのは事前に聞いてました。確かに緩い上り坂が続きます。35キロのラップを見て、このままでは3時間20分を切れないのが分かりました。ただ諦めたらどんどんタイムは遅くなる。この辺りの上りだと記憶していますが、あのアベベに抜かれます。まだ力を残していたんだ。やはり体型から言っても、肌の黒さから言っても走りこみが違うのだと思いました。

その後37キロから38キロ辺りの橋の上だと思います。呉羽山を上り、おそらくその頂上であろう箇所を左折し暫く行くと、富山の街が見えてきます。「お~~都会だ」と思いました。どの辺りがゴールであろうか?と残りの距離を計算しながら考えます。

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チームのメンバーが写真を撮ってくれました。顎が上がってます。まだ腰は落ちてないと思いますが、後ろ足が流れ気味かも知れません。今回は色んな実験をしながら走りました。前傾、足の接地、股関節の動きなど。もう少し自分のものにしないと。

この橋の上でも左側からさっき抜いたはず。という赤っぽいランシャツを着た、似たような年齢の身長の高いランナーに抜かれます。もうこの辺りから私を抜いていくランナーは全員月間300キロくらい走っているように見えます。私も30キロ過ぎてから多くのランナーを抜きましたが、その私を抜いていくのは流石だと思いましたが、これから先も何人かに抜かれます。やはり30キロ過ぎからの走りは練習を積み上げるしかないのだと思います。

確か5キロ過ぎると、今までの走行距離だけではなく、ゴールまでの残り距離で表示されます。36キロ37キロじゃなく、残り5キロ4キロという感じ。4キロの看板を見て、ラップ計算しました。もしここからキロ4分で走れると20分切れる。と思いましたが、5分切れるかどうかの今の私に切れるわけがありません。計画だったらこの辺りまで4分42秒。最後の2キロは更に上げられるはずだったのに。力はそこまでありませんでした。

街の中に入ると、本当に沿道に応援してくれる人がいっぱい。今から考えても皆さんに感謝したいくらい。大きな通りで、中央に路面電車も見えます。金沢は戦災にあってないので、これほど大きな通りはない。

とにかく後で後悔したくはないので、必死です。ラストのラストでチームメンバーから応援をもらいますが、応えるのがやっと。


35キロ 4:50 4:55 4:36 4:49 39キロのラップが4:52 ここまでは何とか5分切りをキープ。さぁラスト3キロ。コーナー曲がると大きな通り。左右には多数の応援が。3時間20分前後となると、ランナーもそんなに多くはありません、視界に入るランナーは10人程度。大きな通りの左側にエイドがありますが、ここで水分補給しても痙攣が起こるかどうかなんて関係ありません。少しでもタイムを縮めたい。もう既にこの時点で左足裏に痙攣が走ってました。勝手に地面を掴むかのように足が伸縮しはじめます。

エイドに立ち寄るランナーを左に見ながら、大きな通りでしたのでその中央を走り、エイドに立ち寄るランナーを抜きました。もうちょっとでゴール。しかしこの後ひょうひょうと走る長身細身の女性ランナーに抜かれます。悔しいけど追いかけられない。


高架横の狭い道を抜け、高架の下を抜け、左に曲がるとゴール地点に向かう湾曲した道路。この前後から、35キロ過ぎ辺りから時々見かけるランナーと並走。このランナーラップが一定じゃないというか、ゆっくり走ったり急に頑張ったりするのです。あとどれだけ走ればゴールになるのか分かりませんが、応援の声、そして手元の時計の距離から見てもう少しでゴールだというのが理解できます。そこで、ペースが一定しないランナーを振りきりました。もう足がちぎれてもいいと思うくらいラストスパート。

本当は余裕を持って2キロはピッチを上げてゴールするはずだったのに、結局は精一杯頑張ってのゴール。

手元の時計では40キロ5:01 41キロ5:00.8 42キロは4:55 手元の時計ではラスト195メートルが570メートルとかなりの誤差がでましたが、2:26でゴール。結局は40キロ地点3時間11分59秒。ゴールはグロスタイム(号砲がなってからゴールまでのタイム)3時間22分44秒。ネットタイム(自分がスタートラインを超えてからゴールまでのタイム)3時間22分42秒。ネットタイムでも22分は切れませんでした。ただもし来年も大阪マラソンのアスリート枠が50代で3時間25分以内という規定が変わらず、富山マラソン(陸連公式レース)も選考レースであれば、何とかアスリート枠はゲットできたのだと思いました。来年はしっかりと狙います。


ゴール後コースの方を向いて一礼できる余裕はありました。ゼッケンのチップを外してもらい、ポカリスエットを貰って、そのまま進むと、女性のスタッフが私の背中にフィニッシャーズタオルをかけてくれます。ゴールして暫く経っていたので、身体も冷えてきてタオルの暖かさを感じました。もう暫く歩いていくと、完走メダルを持った女性が何人も、笑顔で首にかけてくれます。嬉しかった。


完走メダルをもらって、完走証を発行してもらいました。

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出しきれるものは出しました。コンディションは最高、コースも新湊大橋を除いてはほとんどフラット。言い訳できないレースでした。20分切れなかったのは実力です。2年前に走ったいびがわマラソンの方が難コースでしたが、そのタイムにも勝てませんでした。しかしセカンドベストです。

完走証を受け取って少し歩くと、スタート地点で一緒だったあの美ジョガーが笑顔で迎えてくれます。先にゴールに入ったのだ・・・完走証を見せてもらうと数十秒負けていました。彼女はネットで21分台。お見事でした。しかも私ほどダメージがないような。完敗です。その後少し会話をしながら、荷物を取りに。

荷物受け取りが、体育館の地下駐車場のようで、その地下まで降りるのも大変。彼女と一緒に降りて行きましたが、荷物を預けている場所が違うようでそこで見失いました。

係員に誘導され荷物を渡され、上階にもう一度戻ってから更衣室へ。1万2千人の参加があって、私で女性もいれて535番目ですからまだ更衣室となっている体育館は人も多くはありません。荷物を置いて、先ずは左足から靴を脱ぐと、抜いだ途端に痙攣が。その痙攣が、左股関節まで上がってきて、両手で、左足を伸ばして何とかしのぎました。暫く経つと40分台でゴールしたチームのメンバーも現れます。早くゴールしても痙攣してたら同じこと。ようやく着替え終えて、チームメイトに「時間がないから」と伝えて体育館を出ます。前日エントリーをしているので、体育館から駅までの距離と駅までかかる時間は分かっています。


そうなんです。私のゴールはマラソンのゴールではなく、仕事の都合上、13時36分のはくたかに乗るのがゴールなんです。


何とか間に合いました。

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ホームで新幹線を待っていると、ジムで一緒なランナー2人と遭遇。ボロボロになった私よりも足取り軽く、ここまで追い込まない方が電車に楽に間に合ったかも?と思いながら、三人がけの真ん中の席に座らせて頂いて金沢まで。仕事に間に合いました。


富山マラソンを経験して、一つだけ改善点を言わせてもらうとすると、スタート前の着替えをするための体育館が小さすぎる。1万2千人のランナーが一度に着替えるわけですから、男女別としてもあのスペースでは無理だと思います。それとトイレの数。圧倒的に足りません。5倍くらい増やすとストレスないかも。それと配置も。

ただ、沿道の応援が素晴らしい。富山の皆さんに感謝。私が感ずることだけ言えば、ボランティアの方々、ゴール後の誘導全てが良かったと思います。

二週間後の金沢マラソン。こんなに素晴らしい運営ができるか?運営は全く心配していません。本当に時間をかけてしっかりやっていると思います。富山以上に様々な趣向をこらしていると思います。ただ市民がマラソンを応援したいという気持ちになれるか?それだけなのです。どれだけ運営がしっかりしていても沿道にまばらな応援であったら、勝ち負けではありませんが、富山は良かったけど・・・と言われると思います。そしてもう一つだけ決定的な違いがあります。富山マラソンは県が主催、ですから市をまたいでのコースを取ることができました。そしてゴール点が富山市内。9時スタートでトップが2時間ちょっとでゴールすること、そして最終ランナーが7時間でゴールすることを考えると富山の中心部を11時から16時までランナーの為に通行止にしていることです。都市機能を止めてでも大会を盛り上げています。残念ながら金沢はスタートこそ街中ではありますが、ゴールは西部緑地公園。街中に戻ってくるという感動は今回ありました。金沢はそういうロケーションではありません。この違いを払拭するくらいゴール地点での応援、そして盛り上がりをどう作っていくか?それは問われていると思います。


これはマラソン大会であるけど、もう一つの考え方もあります。富山も金沢も新幹線が開業しました。観光客にどうおもてなしをするか。それが大事です。県外から来るランナーは観光客です。どうおもてなしができるか?それに尽きると思います。少なくとも同じ条件で、金沢マラソンも見て頂きたい、その為には11月15日。何とか晴れてくれないかと願うばかりです。

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