二部構成 (1)迷彩柄のルームシューズ(2)白山白川郷ウルトラマラソン完走記(1)序章

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昨日のブログで、ウルトラマラソンのことを書かなかったら、早く完走記をというお声も頂きました。しかしながら、マラソンをしていない人には全く興味のないことでございまして、ファッションだけを求めてらっしゃるお客様もいらっしゃいますし、本日から二部構成でお送りしたいと思います(笑)


迷彩柄、カモフラージュ柄、カモフラ柄などと言いますが、最近はこれもトレンドではなくて、ファッショアイテムとして定着したと言ってもいいほどかと思います。このことはこのブログにも以前書きましたが、シャツ生地のデザインまでこのカモフラ柄があるくらいですから。




そこでシャツ生地に次に何が出てきたか。これです。




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カモフラ柄のルームシューズです。これからの季節足元が冷たくなります、部屋履きもお洒落に。



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価格¥3,500+税になります。当店のYahooショッピング店にて販売しておりますし、更に詳細の画像をアップしておりますので、そちらを是非ご覧ください。

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・・・・・・・・・・・・・・・・ここからはウルトラマラソン完走記に入ります・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




白山白川郷ウルトラマラソン完走記(1)序章


今私はレジェンドと呼ばれている。レジェンド「伝説」。もともとスキージャンプの日本代表葛西選手の愛称だが、私の場合は都市型マラソン18回連続落選という不名誉な記録からその名をチームのメンバーに付けられてしまった。




その汚名?を晴らそうと、いや私のことを可哀想だと思ってくれたチームのメンバーの1人が、東京マラソンプレミアム会員https://onetokyo.org/static/index/pageid/member(年会費4,320円)を払った5名を集めて、プレミアム会員だけの先行エントリーをグループとしてエントリーし、私の記録更新を阻止しようと計画を練ってくれた。


それは必死で、白山比咩神社で絵馬を書いてくれたり、長野の善光寺で同様に絵馬を書いてくれたり、私も京都の護王神社(足腰の守護神)で絵馬を書いたりし、もう当確当たり前という準備をし練習をしはじめた。



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勿論当選するつもりで練習を始める。6月10日アップダウンのあるコース20.262 kmを1時間32分18秒で走りキロ4分33秒ペース。なかなか良い走りができた。翌週6月17日19.880 kmを1時間28分49秒でキロ4分28秒ペース。スピード持久力が付いてきた。こんな練習を続ければフルだって速く走れると思って練習に励んだ。


そして当落発表の日。結果は「このたびは東京マラソン2015の先行エントリーにお申込みいただき、誠にありがとうございました。定員を超えるお申込みがあり、厳正なる抽選の結果、誠に残念ながら今回はご意向に沿えない結果となりました。」と今まで東京マラソンでは7回見続けてきた落選のお知らせ。チームのメンバーに本当に申し訳ない。


このグループエントリーでチームより5名集め、後からグループエントリーに加わりたいと言ってきた1名は単独でのエントリーになりこれが見事当選。初フルマラソンを東京マラソンというオチ付きなわけだが。これは2007年。今から7年前に東京マラソンを初フルマラソンにしようと思って、エントリーした私の夢でもあるがそれを、簡単に成し遂げてしまった強運のメンバーとなった。


これで11月開催の「いびがわマラソン」のエントリーは頭に無かったので、神戸、大阪とも落選をし、秋のフルマラソンは走る予定がなくなった。そんな7月7日の七夕の日。お星様を眺めるわけでもなく、パソコンの画面を眺め何を思ったか、エントリー料金18,927円もする白山白川郷ウルトラマラソンのエントリーをポッチッたわけである。


エントリーした日の前後に若干の左膝の痛みを感じつつも、治療院に行き針を打ってもらい、全く痛みを感じなくなったことからエントリーした二日後の7月9日に、白山スーパー林道を往復走る練習として、坂道でのトレーニングを開始。大桑のヤマダ電機裏の650メートルの坂(内約100mは平らな道)4本ダッシュで上ったのだが、この練習が致命傷となったのは後で知ることになる。




坂道トレーニングの翌日からまた左膝に痛みを感ずるようになった。ジムのトレッドミルに乗るものの着地に痛みがあるので、トレッドミルと自転車トレーニングを並行するようになった。その翌週の朝練。辰巳ダムの方に上るが、下り坂は痛みが膝に走り早く走れない。痛みを我慢しながら、仲間と12.7キロを走るがこれが治療に入る最後のロング走となった。




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その後は痛みが出ない程度にほんの数キロのトレッドミルと、自転車、そして体幹トレーニングと走る以外でのトレーニングを積んでいった。結局7月の走行距離は82キロに終わる。


痛みがとれれば出走しようと思っていた、7月27日福井で開催の「南越前町花はす早朝マラソン」はマラソンを初めて最初の「DNS」(Do Not Start)となり早朝2時に仲間と一緒に福井に向かい。応援だけをして帰ってきたという虚しい経験。ただ応援も気楽で楽しかった。




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9月にウルトラマラソンを走のであれば、8月もそこそこ走りこむ必要があるが、実際走り出せるのがいつか分からない状況の中、7月の走行距離が100キロもいかない状態。それで9月に1日で100キロを走るレースに出れるのか?とにかく不安だけを抱えての7月の練習を終える。


8月に入り。走らないと決めて我慢に我慢を重ねた10日頃。ちょっと走ってみたが痛みはない。ならばそろそろと思い。数日更に我慢をし定休日の11日月曜日。市営陸上競技場にて5キロ程走ってみた。トラックならば安全だろうと思ったのもある。痛みもなく走れた。完治したかな?と思い翌々日の13日水曜日。海までの19.5キロをゆっくりとしたペースで走ってみる。痛みはない。さぁここから練習だ。27日間ほぼ走らず我慢してようやくここまで来たのである。




翌日平日であったがチームのメンバーのお誘いもあり、大乗寺丘陵公園から白山さん往復25.5キロを走ったが、脚力は本当に落ちていて、最後はヘロヘロ。こんな状態で100キロ走れるのか?25キロなんてウルトラだったらまだ序盤じゃないか。とにかく不安ばかりが頭をよぎる。



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そしてその後、レース感を取り戻す為にとエントリーをしていた、「たいらクロスカントリー大会」5キロ。これは短い距離だし大丈夫。入賞も狙って走り、復活の狼煙を上げようと思った大会であったが結果は惨敗。

年代別9位。5キロなのに途中で歩きまで入るという結果に終わってしまっ。


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【すみません。まだウルトラマラソンのスタートに立てませんが、一気にスタート近くまで書いてしまいます。】




脚が治れば練習あるのみ。ただ練習計画を立てるが、ロングを走るには休みを使わないといけない。その定休日に出張が重なりなかなか休めない。ようやく一日何とかなったが8月27日の水曜日。既にウルトラマラソンまで一月を切った所での50キロ走となった。


練習でも残り1キロが走れず、自動販売機でコーラを買ってそれを飲み干してから何とか辿り着くという状態。あと一月で何とかなるものだろうか。



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勿論50キロを1度走ったくらいで、標高差約1,230m、累積標高差は約2,530mのウルトラマラソンを攻略できるとは思っていない。しかし疲れを残さずに本番に挑むには時間は限られている。そしてこの50キロ走を入れても8月の月間走行距離は187.350キロにしか到達していない。一月かけてこれだけの距離しか走っていない人間が一日で100キロを走破できるほどマラソンはあまくはない。




翌週の9月3日も出張であった、何とか大阪からとんぼ返りで夕方の市営陸上競技場に入り10キロを走り。翌週の9月10日本番の11日前に夕霧峠までの坂道44キロを走り切った。ウルトラを考えると11日前のロング走は本当にギリギリの所だったと思う。以上を本番前の練習とした。


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ここからは調整。日曜日のチームの朝練で12キロ走ったものの、徐々に距離を落としながら疲れをとっていく。ただ52歳の私がどれだけ回復できているか。それだけが心配であった。ただこの44キロを走らずに本番を向けるような冒険もできなかったので、これは結果として良かったものと思っている。

さて、本番前日、いよいよ次回でスタート地点に立てるか。

続く。


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